く ま 寺 の 由 来
大松寺(現・大松寺本院)の境内に手負いの羆が現れ、薪切りをしていた男性ともみあいになり、男性は瀕死の重傷を負い、後に左手切断の手術を受けました。 羆は境内の物置に逃げ込んだところを銃で射たれ、絶命しました。 以来、大松寺では羆の供養をしており、その後、誰言うことなく、大松寺は「羆寺」と呼ばれるようになりました。現在でも歴史図書、雑誌等で、遠き日の悲劇が伝えられています。
大松寺本院の本堂には、めずらしい『羆菩薩像』が安置されております。
【ヒボサツ 羆菩薩】
昔一人あり山に入りて薪を採り雪に遭て飢寒す、羆將て收養し、餘命存するを得たり。天晴れ路通じてその其の人山を下る。
(佛教大辞典より抜粋)
なお上記、大松寺本堂は現在『北日本動物霊堂』になっております。
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